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ベトナム旅行記 7

2月1日(日) 
 今日はこの旅行の三つ目のポイントホイアンとミーソンの二つの世界遺産を見学だ。
ちょっと、暑くなってきたが、頑張って出かけよう!ホテル10時発

◆ ホイアン旧市街をシクロで駆け足観光

ホイアンはカンナム・ダナン省最大の河川であるトゥボン(ThuBon)川が南シナ海に注ぐ河口に位置する。河口といっても現在のホイアンは海からかなり遠い。
 ホイアンの町は、中心部でもバイクの数がそれほど多くなく、バイク洪水のホーチミン、ハノイ、ダナンと違ってのどかな町並み、落ち着いて町を歩くことができそうだ。

 ホイアンの旧市街地の主な見どころを一回りしてもせいぜい2〜3キロメートル。街は狭い、歩いて回るのにちょうどいいサイズだ。本当は徒歩で回った方がいいのだが、午後はミーソンの山歩きを控えているので、シクロに乗ることとした。
 
 まず、5枚の入場券がついた観光チケットを購入する。収益金は、家屋の修復など街並み保存に使われるそうだ。

 最初は、福建会館。中国の福建省出身の客家(ハッカ)が建てた寺で天后が祀られていて、航海の安全を祈る場であった。
 現在は福建省出身の華僑らの集いの場となっている。

 福建会館から200mほど行くと、トゥボン川の岸に出る。このあたりが往時、港のあった所だと言う。いまは、簡易な船だまりだけがあり小舟や漁船が静かに係留されていた。水深も浅そうで、16〜17世紀交易船が行き来していたとはとても想像がつかない。

    
400年前に日本人が住んでいた!

 ここは400年前、日本の貿易船の基地だったところで、 豊臣時代から、江戸時代の鎖国までの間、「朱印船」が行き来したところだ。
 四百年前にホイアンで暮らした日本人の痕跡をあちこちで見ることができる。

 日本橋(来遠橋 カオ ライ ヴィェン)
という木造屋根付きの橋が残っている。
1600年代に日本人が造ったと言われているもので申年から戌年までかかったので橋の両端には猿と犬が祀られている。
 屋根がついている珍しい建物だが、日本風ではなく中国風。

 橋を渡った向こうが日本人町だったといわれているが定かではない。
当時の日本人町には1000人程度の日本人が住んでいたともいわれるが、江戸幕府の鎖国政策により日本人町は徐々に衰退し、その後、中国人華僑が移り住むようになったといわれている。


 ホイアンには古い中国風の家屋などが多く軒を連ねており、街並みも他のベトナムの街とちょっと違う感じ。
 
 いくつかの家は中を公開しており、日本橋をわたって右手にある「フーフンの家」もその1つ。
 
 フーフン家は、ビンロウの近海交易で繁栄した大きな家。
 中央が吹き抜け庭になっているのが特徴。八代目だという当家のお嬢さんがお茶をいれてくれた。裏が船着き場になっている
旧市街の保存町並み ひっそりしたたたずまいのフーーフンの家 フーフン家八代目

 チャンフー通りを出発点方向に戻る。
 
 両側には、陶器、木彫り、刺繍,ゴザ、ランタンなどの手工芸品を売る店、レストランなどが並ぶノスタルジアを感じさせる静かなたたずまいの町並みである。

 次に入ったのが、海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)

 復元旧居を利用した博物館で、昭和女子大学が調査した発掘品(中国陶磁や肥前陶磁、ベトナム陶磁、イスラムガラスなど)を展示している。古伊万里など日本の陶磁器も混ざっており、交易の様を雄弁に物語っていた。
 たとえ破片となっても残る焼物は、やはり強いね〜。


 昼食はホイアン名物 ホワイトローズ(ひとことで言うとぷりぷりの蒸し餃子) とても美味しかった!!


◆ ホイアンの歴史

 
● 2世紀末
    
ベトナム中部に「林邑」が建国された。中国文明の影響から抜け出し次第にインド化が進み、のちのチャンパ王国につながると考えられている。

 ● 4世紀末〜8世紀後半ば
    
地方王権の連合体であったチャンパ王国の「王の中の王」の都シンハプラはホイアンから川をさかのぼったチャーキエウにあった。
     
4世紀末にバドラヴァルマン王が都にほど近い山中に祠堂を建立したのが聖地ミーソンのはじまり。

河口のホイアンは貿易港として発展する。インド、アラブ、中国などと交易があり、象牙や犀の角、沈香などを輸出していた。
日本の正倉院御物にある沈香「ランジャタイ」も中国経由でチャンパからもたらされた。

 ● 10〜15世紀
    
チャンパ衰退期。北の「大越」や西のカンボジアとの抗争に疲弊し、勢力範囲は南下していく。

 ● 16世紀〜17世紀

ホイアンは「大越」の勢力地域となるが、大越の分裂により、広南阮氏の管轄下におかれる。
日本との間に朱印船貿易が盛んに行われ、日本人町があったのはこのころ。1636年に日本の鎖国により朱印船貿易は幕を閉じる。

その後もホイアンには中国、ポルトガル、オランダ、インド、アラブ商人達が数多く出入りし、国際貿易都市として重要な位置を占め続ける。
   
 ● 18世紀以降

明の崩壊に伴い、多くの華僑がホイアンに移住。
    
その後、大型船の時代になり、国際貿易港としての役割はダナンが担うようになった。


◆ ミーソン遺跡

  お腹が一杯になったところで、いよいよミーソンへ。

 国道1号線に出て南下、途中で右折してホイアンからほぼ1時間半ほどの丘陵の中、ひっそりした遺跡入り口に着く。
 
 腐りかけて、危なっかしい竹のつり橋を渡って、小型ジープに乗り換える。
 遺跡の環境保護のため一般車両をかなり手前でストップさせている。

 

 ミーソンは2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部にかけて栄えた当時のチャンパ王朝の建造物群のひとつで、いくつか現存している他の遺跡群のなかでもチャンパ王国が隆盛を誇っていた時期のものであるため、その歴史的価値はかなり高いと言われている。
 4世紀後半に木造の祠堂が建てられたのが、ミーソンのはじまりで、現在は8〜13世紀に建てられたレンガ造り70棟もの塔頭が造営されたという。

 歴代の王たちは、チャーキエウから象に乗って参拝に訪れたという。現在20塔だけが残っている。

 1999年世界遺産に登録された。

 ジープで10分くらい走ったところに、遺跡の俯瞰模型があるインフォメーションセンターらしき建物がある。周囲をなだらかな山々に囲まれた隠れ里のような場所だ。
 
ここからさらに、右手に猫の爪の形をした聖山「マハーパルヴァタ」を見ながら15分くらい歩き、四方を山に囲まれたミーソン遺跡に到着する。

 現存しているミーソン遺跡は専門家によりAからGまでの7つのグループに分けられていて、それらは約20の建築物からなっている。
 
 まずはB,C,Dグループを見学。

 最初の印象は、
げっつ!砕けたレンガの山また山ばかりではないか!

 先年訪れた、カンボジアのクメール建築物を思い描いていたからかもしれない。アンコールワットとその周辺の建造物は主として石造、ここはレンガ造であることとの違い、それに米軍の空爆による破壊。やむを得ないか!

 グループB,C,D群には、10棟ほどのレンガのお堂が建っている。堂塔の内部に一部レリーフが展示してあるが、ほとんどのレリーフ彫像はダナンのチャム博物館に収められているという。

 
 
 B5と呼ばれる塔は10世紀ころの極めて貴重な建造物であると同時に、現存するチャンパ芸術の中でも一番優雅で荘厳の造りであるとされている。だが、アメリカ軍の空爆を受け、高さ30mを誇った建物もむなしく土台部分を残すのみとなった。
B5 祠堂 同左 復元図

 グループAには、1950年代にフランスの調査隊が発見した高さ60メートルの寺院があったが、これまた空爆で崩れ落ちて今は見ることができない。
    Aグループ H=60mの寺院         遺跡に彫り込まれた顔なし像
カンボジア、バンティアイスレイ「東洋のモナリザ」をに匹敵か?

 あちこちに、草の生えた赤レンガの建物が点在している。カンボジアのアンコール朝揺籃の地、ロリュオスのロレイ遺跡に似ていると思った。

     チャンパのレンガ技術は極めて優秀

 で、屋根部分はアーチを使わない構造で出来ている。接着剤のようのものを一切使わず、土を挟んでそれを火であぶってぴったりと重ねあわされ、陶器のように硬くしかも透水性がよいと言う。このようなレンガは現代の技術をもってしても造れず修復に使ったレンガの部分は、水分が抜けないためすぐに草が生えてくるが、もともとある部分には草は生えないと言う。

 この後、F,E→I→Hと歩いて苔むした祠堂、ヒンズー教のシバ神を祀ったリンガやヨニ、見事なレリーフ、古代チャム語の碑文など、歴史のロマンをたどる散策をした。
Fグループ リンガ Hグループ

 あちらこちらに爆弾の炸裂した跡と思われるすり鉢状の穴があったのが痛ましい。
ベトナム戦争中、このミーソンに多くの兵士が隠れていたため、米軍がたびたび爆撃を加え、貴重な建築群や煉瓦に彫られた像が崩壊してしまったのがいかにも残念だ。

 また、
 アメリカは略奪もやったそうで、タイ領内の基地からヘリコプターでやってきてめぼしい物を持っていったという話もある。
 まったく、ろくなことをやらない連中だ!戦争ってえーのはこういうもんか!


 まだ、そんなに暑くない季節で助かった!
 軽やかな疲れを感じ、うとうとしながら夕暮れて交通量の増した1号線をダナンへと戻った。

◆ 夜遅い便でホーチミンへ

  ダナン市内、「金都大酒楼」で夕食。ここの料理は、、いまいちであった。今回の旅行中,下位3指にランクする。

  ダナン→ホーチミンのフライトの予定は ダナン発18:30であったのだが、3時間も遅い21:40発に変更された。
理由がはっきりしない。ガイド氏に聞いても、ホーチミンオフィスからの連絡だといって判然としない。

 ベトナム航空は、客が少ないと勝手にフライトをキャンセルすることがあると、何かに書いてあったのを思い出す。
 まあ〜好いか!おかげでミーソンをゆっくりたっぷり観ることが出来たんだから!
 
 空港待合室でで2時間以上過ごすことになったが、冷房が効きすぎだ〜。 壁置き型の大きなエアコンが19℃にセットされて強で吹き出している。勝手ながらSWをオフにさせてもった。
 
 ベトナムでは国内線でも、搭乗チェックが厳しい。搭乗口でも、パスポートを見せなければいけない。ベトナム人はどうかなと見ていたら、こちらはIDカードでチェックしていた。

 サイゴン(わたしの年代はホーチミンよりやっぱり「サイゴン」と言う名前のほうが馴染んでいる)は大都会だ!飛行機の窓からの夜景は、バンコック、ジャカルタに劣らない大きさと輝きを見せている。
 22時50分 ホーチミン タンソニュット空港着
 ホテル着23:40、0時過ぎ就寝。